Free亡き父の技、追いかけて 八幡馬職人・窪田さん「鉈彫り」継承誓う

大久保直次郎さん(中)と優子さん(右)、優子さんの長男和馬君。直次郎さんに親子馬をプレゼントしてもらった=2017年、八戸市

八戸地域に伝わる工芸品の八幡馬。中でもナタ1本で表現される柔らかな曲線美は、日本三駒に名を連ねる郷土玩具の象徴的な存在だ。そんな伝統技法「鉈彫り」の唯一の職人で、名人とうたわれた八戸市の大久保直次郎さんが80歳で他界したのは昨年12月。いまだ悲しみは癒えないが、前を向いて継承を誓うのは長野県松本市在住の窪田優子さん(48)。直次郎さんの次女だ。難しいことではあるけれど、自分が継いでいきたい―。亡き父の背中を追いかけ、5代目を目指す。

 3人きょうだいの末っ子。父がナタを振るうのは日常の光景だった。「トン、トン、トン」。作業場に心地良い音が響く。面白い形の木片を集めたり、八幡馬を販売する櫛引八幡宮の秋季例大祭で店番をしたりするのが楽しかった。

 一番身近な存在である父は一方で、周囲に慕われ称賛を集める職人。当時は技術を教わる機会もなかった。作り手になることを「考えたこともなかった」

 大学進学を機に古里を離れ、民間企業に就職、そして結婚。転機は2001年、夫の耕介さん(50)との何気ない会話だった。

 「八幡馬かっこいいね。作らないの?」「作らない」「じゃあ俺が作る」。“軽い一言”に「それなら自分が」と意地になった。

 その翌年、耕介さんの仕事の都合で松本市に移住。現地の木材工芸の専門学校に通った。ノミと彫刻刀を使って3寸(約9センチ)と4寸(約12センチ)の八幡馬を初めて制作。幼少の頃から父の姿を見ていたこともあってか、「不思議にも自然と作ることができた」と振り返る。

窪田優子さんが作る小さい八幡馬

学校を卒業して仕事に復帰する一方で、休日を利用して、電動糸のこぎりと彫刻刀で小さな八幡馬を作り続けた。大きさが違っても、比率は父の八幡馬と同じ。例大祭に駆け付け、父と並んで店に立ち、自分の作品を販売したこともある。心に決めてから10年、大久保優子として八幡馬作りを職業にした。

 父が病に倒れたと連絡が入ったのは昨年5月。急きょ帰郷し、体を気遣いながら、久しぶりに作業場へ足を踏み入れた。「こんな大きな馬、やっぱり作れない。でも作ってみたい」。晩年の父が削った八幡馬に感情が高ぶった。

 その半年後、“生涯現役”を掲げた父がこの世を去った。別れはつらかったが、「自分が継がなければという思いが強くなった」。気持ちが固まった。

 指導を仰ぐ先代はもういない。ただ、丁寧にナタを振る在りし日の姿は鮮明に覚えている。それは若くして後を継いだ父と置かれた環境は同じ。くしくも父娘の歩みが重なる。

 実は20年ほど前、父の助言を受けてナタをあつらえてある。ただ、自分には大きすぎて、扱う覚悟もなかった。「研いでおいてやる」という父に預けたまま。四十九日法要で再び実家に戻った際、探してみるつもりだ。

 代々受け継がれてきた鉈彫り。技法は異なるが、同じ八幡馬を作ってきた自負はある。「父の馬って、必ず口元が笑っているように見えるんです。そういう馬が作れたらいいな」

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