Free【北奥羽の地名】藤ケ森(おいらせ町)/義経北行伝説に由来か

北奥羽の地名
北奥羽の地名

奥入瀬川と明神川に挟まれた平地で、おいらせ町の南部に位置。旧百石町時代からの住宅地で、町立百石小なども含んでいる。

 東前川原や下屋敷などが属する行政区名だが、昔から一帯を指す名称として親しまれてきた。1600年代の「郡郷村目録」には、藤ケ森に14軒の住家ありとの記述がある。

 名称の詳しい成り立ちは不明だが、百石町史などには、源義経の北行伝説に由来するとの説が記されている。

 北行伝説は、義経が岩手県の平泉から北方に逃れて津軽海峡を渡り、モンゴルの英雄「成吉思汗(チンギス・ハン)」になったとするもの。東北地方の各地には、さまざまな伝説が残っている。

 同地区の伝説は、義経が夫人を伴って北方へ逃げる際、夫人が病にかかって死亡したとするもの。その遺体を土地に埋めたことから、「夫人が森」と名付けられたという。

 地域の個人住宅敷地には、直径3・5メートルの円塚が存在。夫人の墓とされている。伝説は地域でも親しまれており、まつりの山車のモチーフとして用いられている。

 
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