Free天鐘(9月15日)

宮沢賢治の代表作『雨ニモマケズ』に出てくる一日に「玄米四合」が「玄米三合」と改竄(かいざん)されたのは、戦後の1947(昭和22)年のこと。GHQ(連合国軍総司令部)統制下の国定教科書『中等国語』だった▼太平洋戦争を潜り抜けた世代にとり、賢治と言えばまずこの詩が口をついて出るらしい。開戦後、大政翼賛会は総力戦を想定して機関誌に詩を掲載。「欲しがりません。勝つまでは―」の合言葉と結び付いた▼賢治は既に33年9月、37歳で早世。本人の意志に関わらず、戦時中は詩の質素倹約が軍国教育の「滅私奉公」に重ねられ、戦後も物不足や悪化する食糧事情をひたすら堪え忍ぶ“標語”のように都合よく使われた▼47年、文部省発行の『中等国語』掲載に当たり、GHQは「玄米四合は贅沢(ぜいたく)。三合に減らすように」と指示。国語教育学者で教科書を編纂(へんさん)した石森延男は「一字で全文削除より三合で同意した」と振り返った▼作家の井伏鱒二は『黒い雨』で「玄米の配給は三合余から次第に減量され、大豆の搾しぼり滓(かす)二合七勺(しゃく)になった」と述懐。2年後には四合に戻されたが、「誰も教科書を信じなくなる」と文部省の曲学阿世を批判した▼敗戦でイデオロギーは一変したが不思議なことに『雨ニモ』は戦後も愛され続け、賢治ファンは後を絶たない。もうじき実りの秋である。賢治が詩に込めた魂の祈りを一点の曇りなく反芻(はんすう)したい。