「探究の旅へ」ご一緒に
南部地方に古くから伝わり、その素朴な味で多くの人に愛されてやまない「せんべい」。私たちにとってあまりにも身近すぎる存在だけに、歴史や素顔があまり知られていないのではないか。せんべいって、どんな食べ物なのだろう。職人たちの伝統を守り続けてきた技や思いを知りたくて、一年間、「せんべい探究の旅」に出ることにした。あなたも、ご一緒しませんか―。
(※2002年1月3日、本紙に掲載。年齢や肩書などは当時のままです)
「こんにちは。せんべいをください」
「いらっしゃい。どっち、あげましょう」
「白とゴマを十枚ずつ」
「はいよ、ありがとさん。まいどね」
二、三十年ほど前までは、せんべい屋さんで、こんな会話がよく聞かれた。最近は、スーパーやコンビニで二十枚ぐらい入った袋詰めせんべいを買うのが普通だ。
直接、せんべい屋さんで買うのは焼きたてや、てんぽ(もちせんべい)を食べたい―とか、あるいは常連客だけなのかもしれない。
せんべいとひと口にいっても、「南部せんべい」「八戸せんべい」「三戸せんべい」「五戸せんべい」「盛岡せんべい」「津軽せんべい」などの呼び名がある。味や厚さ、焼き方などそれぞれ特徴があるが、そもそもの発祥地は八戸という説が有力だ。
昔、せんべいは南部地方のどこの農家も作る、ポピュラーな食べ物だった。「それが後に販売されるようになり、それぞれの地域が名物として売りたいがために自分たちが住んでいる地名を付けたのでは」。八戸煎餅組合の組合長でマルサカ煎餅社長でもある坂吉男さん(66)はこう話す。
南部せんべいの名は全国に通るが、八戸せんべいのネームバリューはいまひとつ。この背景には盛岡市にある岩手県南部煎餅組合が全国で大々的に行ったPR活動があった。
年間販売額は二十億円以上。いかせんべい、焼きいもせんべいなど七十種以上の商品を南部せんべいとして全国に販売している(株)巖手屋社長の小松務さん(57)は、「八戸に先行し組合全体で全国に宣伝した。効果は絶大だった」と説明する。
東北新幹線が盛岡まで延伸した際、さらに力を入れたPR活動が展開された。これにより、八戸せんべいの出遅れが決定的となった。
結果として、南部せんべいの種類の一つに八戸せんべいや三戸せんべいがある―という印象を与える形になってしまったが、小松さんは「おいしさでは、八戸や三戸のせんべいにはかなわない」と漏らす。
こうした中、八戸が発祥地―という意識にこだわりながらせんべいを作り続けている人がいる。JR本八戸駅前で店を経営している四戸勝郎さん(62)もその一人。四戸さんのせんべい作りのキーワードは「元祖」。せんべいには「八戸」「はちのへ」の文字も焼き込んでいる。
「『南部せんべいをください』というお客さんばかり。だから看板を『元祖南部せんべい』にしている。本当は『八戸せんべい』にしたいんだけど…」と話す。「八戸」を前面に出すだけではせんべいは売れない、そんな無念さが四戸さんの表情から見て取れる。
南部せんべいに比べると、三戸せんべいは二ミリ半ほど薄いという。創業六十七年目を迎えた三戸町同心町、小山田せんべい店の小山田美穂さん(55)は「南部せんべいが『バリバリ』という感じなら、三戸せんべいは『ショリショリ』かな」と表現。「薄焼きにしているのは三戸らしさを出すため」と話す。
かつて、三戸せんべいは生地を粉に付けず、そのまま流し込む「流し」の手法で焼いたが、小山田さんは普通に粉を付けて焼く。生地にゴマを付けるのではなく、まず熱い型にゴマを置き、それから生地を入れる。その方が、ゴマの香りがよく出るとの理由からだ。
八戸地域は、せんべいの一大生産地であった。最近はせんべい屋さんが年々少なくなり、生産地から大消費地に立場が変わってしまった感がある。「せんべい屋さんたち、もう一度元気を出して」のエールにもなる「旅」になれば―と思う。


