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【紙面アーカイブから】「全線開通80周年八戸線 駅・人もよう」(14)湊①※現在は廃止
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【紙面アーカイブから】「全線開通80周年八戸線 駅・人もよう」(14)湊①※現在は廃止

2026.06.18clock-icon19:00
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「ドル箱路線の舞台」魚介や木炭、全国に出荷 跡地に道路や公園整備

【写真説明】湊駅の跡地に整備された新堀公園。奥に見えるのが御前神社=八戸市小中野8丁目
【写真説明】湊駅の跡地に整備された新堀公園。奥に見えるのが御前神社=八戸市小中野8丁目

※2010年4月6日本紙掲載。年齢や肩書などは当時のままです
新井田川河口部の八戸市営第2魚市場の近くに、小中野緑地と呼ばれる一帯がある。ここに、かつて〝ドル箱路線〟といわれた八戸線の代表的な駅の一つだった湊駅が存在していた。
1894(明治27)年10月、八戸線の終端駅として開業。1924(大正13)年に種市まで線路が延伸され、支線の駅となった。肥料生産で隆盛を誇った日東化学八戸工場や第2魚市場などと引き込み線でつながっていた。   
支線では当初、客車と貨車が1日計10往復前後走っていた。終戦直前に貨物専用線となり、「湊貨物支線」と呼ばれるようになる。77年、本八戸から陸奥湊方面に延びる現在の本線とともに約2キロが高架化されたが、湊駅は地上駅のままだった。
湊駅からは、周辺工場の製品や八戸港で水揚げされた魚介類、岩手県北地方の木炭などが全国に出荷され、さまざまな生活物資も取り扱われた。盛岡鉄道管理局管内で、営業収入が岩手県の釜石駅に次いで2位に輝いた時期も。戦前や70年代後半の一時期は、客車と貨車の混合列車も走っていたという。   
地元の小中野出身で、国鉄職員として48年から13年間、同駅に勤務した船田勝美さん(80)は「ものすごい輸送量で、とにかくにぎわっていました。貨車が足りないほどでした」と振り返る。   
一時代を築いた湊駅だったが、市内の鉄道貨物の取り扱いが71年に八戸貨物駅(同市長苗代)に集約されたの加え、トラック輸送への転換という荒波を受け、85年9月に廃止された。高架線も完成から10年もたたずに使命を終えた。現在は線路や鉄製の橋が撤去され、コンクリート橋だけが残っている。
駅跡地は市が買い取り、87年から95年にかけて市道小中野5丁目1号線(通称・みさき通り)や「新堀公園」「みさき通り公園」が整備された。日東化学への引き込み線は「陽(ひ)あたり公園」に。三つの公園にはナナカマドやソメイヨシノなどが植えられ、遊具やベンチなどもそろい、市民の憩いの場となっている。市内では国鉄跡地の最大規模の活用事例とされる。
小中野、江陽両地区の氏神様として親しまれる御前(みさき)神社も駅跡地を買い取り、95年11月、みさき通り公園の隣接地に移転した。
以前は、新井田川対岸の館鼻公園内にあったが、「もっと身近な場所に移してほしい」という地元住民の長年の熱意が実った。  
「神社というと薄暗いイメージですが、明るくお参りしやすい場所にしたい」と同神社宮司の浪打磐根(いわね)さん(70)。安住の地を得た社は、地域や住民を見守り続けている。   
 

八戸線トピックス

【写真説明】廃止から間もない湊駅構内。左の建物が駅舎=1985年10月
【写真説明】廃止から間もない湊駅構内。左の建物が駅舎=1985年10月
新井田川の河口を「湊」

■浜通りの中心・小中野 八戸の「湊」というと、今では陸奥湊駅周辺をイメージしてしまうが、かつては、廃止された湊駅が隣接していた小中野地区が、浜通り地区の中心地であった。

 青森銀行や青い森信用金庫などの金融機関が「湊支店」を小中野地区に置くのは、この地区が重要な位置を占めていた名残ともいえる。

 藩政時代から新井田川河口近くの船だまりが「湊」と呼ばれ、「鮫湊」「白銀湊」と区別された。1960年代ごろには、全国各地から集まった漁船が川面いっぱいにひしめき合い、船を伝って対岸に渡ることもできたという。船がランプをともしたり、大音量の音楽を流していた様子から「東北の上海」と呼ばれた時期もあった。

 メーンストリートの新丁では、さまざまな店が立ち並び、一回りすれば何でもそろった。新地や浦町と呼ばれた地区は遊郭街、花柳街として栄えた。盛り場ではけんかなどのトラブルが絶えず、警察官だけでは対応が追いつかないため、地区住民らによる自警団も結成された。

 地区内には八戸線の小中野駅が新設され、規模拡大も検討されたが、湊駅の存在が大きく、無人の〝停留所〟のままだった。輸送力増強のため、湊駅から鮫駅までの海沿いに新線を建設する計画も持ち上がったが、実現しなかった。また、八戸大橋(通称・夢の大橋)も当初は館鼻地区と小中野地区を結ぶ構想があったという。

当時の紙面(2010年4月6日掲載)
当時の紙面(クリックで拡大)

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