白せんべいが伝統の味
(※2002年1月16日、本紙に掲載。年齢や肩書などは当時のままです)
長慶天皇の伝説では、赤松某が農家からそば粉とごまをもらい、それをこねてせんべいを焼き、天皇に差し上げた―ということになっている。
ごまは約二百万年前にアフリカで誕生。エジプト文明を通じて世界中に広まった。日本には縄文晩期に伝わり、戦国時代までは上層階級の食べ物だった。江戸時代に入って全国で量産されるようになった、とされる。
ごまの歴史を検証すると、白せんべいよりごませんべいが先に作られたとは信じ難い。
郷土史研究家の中里進さん(79)は、八戸地方での小麦栽培が盛んになったのは元禄年間(一六八八―一七〇四年)以降とみる。八戸藩の史料にも小麦の字が出てくるからだ。中里さんは、元禄時代以降相次いだ凶作が小麦栽培拡大の要因の一つと考えている。
竹之助がせんべいの型を改良したとされる二十八年後の一八六二(文久二)年、盛岡南部十四代利剛の命令で編さんされた「奥々風土記」に、三戸郡内でよく作られるものとして「麦せんべい」と「胡麻(ごま)」の文字が出てくる。「八戸せんべいは、このころ世にデビューしたのではないか」と中里さん。
竹之助が作ったせんべい型は、農家に相当普及したと思われる。農家は手っ取り早い現金収入手段として、自分で作った小麦粉を原料に塩で味を付けた白せんべいを焼いて、城下の市で販売したのだろう。時には“高級品”として、ごまを加えて焼いたかもれない。
「てんぽ」の原料も同時に、そば粉から小麦粉へ代わっていった。
せんべいのPR小冊子「南部『八戸せんべい』」に「せんべいの原点となる商品は白せんべい」とある。「小麦粉と塩だけの白せんべいは、八戸でなければ生み出せない伝統の味」。こう話すせんべい通は多い。


