Free北奥羽の地名【帽子屋敷】/どんな由来?

帽子屋敷
帽子屋敷

帽子屋敷は、現在の八戸市類家2丁目付近を指す。源義経が平泉で自害せずに落ち延びたとする「北行伝説」になぞらえて付けられた。

 郷土史家の故正部家種康さんが、八戸の各地に残る義経伝説についてまとめた「北の義経伝承」によると、義経は信心していた同市類家の「類家稲荷大明神」を参拝していた。

 その際、えぼしや狩衣(かりぎぬ)を掛ける場所がなく、くいを立てて掛ける場所を確保したことが由来と言われている。

 帽子屋敷があったとされる場所は、現在は「芭蕉堂公園」と呼ばれ、地元住民に親しまれている。1937年に政治家・北村益の古希を記念して建てられ、俳人松尾芭蕉の句碑や筆塚などが置かれている。当初は「百仙洞公園」と名付けられたが、住民からの要望で、古くから親しみを込めて呼ばれていた「芭蕉堂公園」と改名した。

 園内にあるお堂の中に宮本重良作の木彫像が納められ、旅人芭蕉翁像といわれている。園内の立て札には、松尾芭蕉の説明のほか、義経の北行伝説について説明されたものもある。

 ※ネット連載

 
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