Free【Dashセレクション】アスリート列伝・玉井祐美(空手・三沢市出身)・4度目の挑戦で念願の世界制覇

世界選手権優勝後の全本選手権で戦う迫祐美=1998年12月
世界選手権優勝後の全本選手権で戦う迫祐美=1998年12月

1998年10月、ブラジル・リオデジャネイロの地で、戦い終えた25歳の女性は万感の思いに浸っていた。空手個人組手の玉井祐美(旧姓・迫、三沢市出身)が世界選手権4度目の挑戦で、念願の初優勝。5歳上の姉が同選手権で初Vを飾ってから10年後、姉妹制覇を実演させた。「無我夢中で追い掛けてきた姉の背中に追いつけたかな」(9月10日発行の月刊スポーツマガジンDashから記事をセレクトしてお届けします。今回は空手の世界選手権を制した玉井のストーリー)
 3人きょうだいの末っ子として元気いっぱいに育った。空手との出合いは、小学校入学前。当時、姉と兄は週3回、市空手協会の空手道場に通っていた。両親に連れられて道場の稽古を終えた2人を何度か迎えに行くうちに「姉、兄が格好良く見えた。自分も空手をやってみたいと思った」。小学1年で入門した。
 同協会の空手は近代空手の祖である船越義珍を開祖とする「松濤館流」。ダイナミックな攻撃や受けの動きなどに特徴があり、空手四大流派の中でも世界的な競技人口が最も多い流派だ。そんな教室では指導者や仲間に恵まれ、持ち前の運動能力の高さもあって、めきめきと上達した。
 小学校中学年からは、学校でバスケットボール、校外活動では空手と“二足のわらじ”を履いた。バスケ部でもチームの中心選手で、中学最後の年はキャプテンを任されるほどだった。
 ■「姉が通った道を自分も」
 空手では小学校高学年、中学と進むに連れ、地元や青森県内の大会では“敵なし”の状態だった。高校も空手の強い学校に-とおぼろげに思い描いていた88年10月、光星高から大正大に進んだ姉が、エジプトで行われた空手の世界選手権で初優勝を飾る。自身はそれまで全国大会出場経験すらなかったが、世界の頂点に立ち脚光を浴びる姿を見て、覚悟を決めた。「姉の通った道を自分も進むんだ」
 中学までは週3回だった空手が、高校入学後はほぼ毎日になった。夜遅く帰宅することも多かったが、自ら選んだ道だけに苦にはならなかった。周囲からは「世界女王の妹」という大きな期待がかかったが、重圧として捉えず、自分への励ましとして受け止めて鍛錬を重ねた。
 大会では1年生からいきなり結果を出した。89年夏は東北大会を制し、全国高校総体にも出場。90年春の全国高校選抜大会では日本一に輝き、注目を浴びた。当然のように、同年夏の全国高校総体(宮城)は、2年生ながら優勝候補筆頭に挙げられた。「調子は悪くなかった。負けるわけがないと思っていた」
 前評判とは裏腹に、本番では初戦の2回戦で宮崎県選手に競り負けた。「相手も弱くはなかったけれど…。油断があったのかな」。91年春の全国高校選抜大会も4強止まりだった。
 ■やっと姉に肩を並べた
 敗戦の悔しさを糧に猛練習に励み、満を持して臨んだ同年夏の全国高校総体(静岡)。「高校最後の大舞台。悔いを残さないよう気合を入れて戦った」。準決勝では、選抜大会で苦杯をなめたライバルにリベンジすると、決勝では大阪の選手に持ち前の突きを次々と決め、開始1分で快勝。86年に姉が制した舞台で表彰台のてっぺんに立った。「やっと高校時代の姉に並べた」-。
 大学進学後は、それまで粗削りだった松濤館流空手を基礎から学び直すことで、さらなる進化を遂げた。「突き方、蹴り方、蹴りのさばき方…。地味な練習をひたすら繰り返した。奥深さを感じることができた」。1年だった92年秋は初の世界選手権出場を果たし、同年末の全日本選手権(東京)は初優勝を飾った。
 階級別で争う世界大会と、無差別での戦いが中心の国内大会。「157センチと小柄なので、国内大会ではリーチのある大柄な人を相手にすると苦戦することもあったし、世界大会前は減量が大変だった」
 そんな状況でも、爆発力のあるスピードを生かした「攻める組手」でコンスタントに結果を積み重ねた。94年は、この大会から正式種目に採用されたアジア大会(広島)を制したが、2度目の世界選手権(マレーシア)は3位。95年は全日本選手権(東京)で2位となった。
 ■「世界で優勝したい」
 大学卒業後は青森県立深浦高で教壇に立ち、生徒や深浦町の子どもたちに指導する傍ら、現役続行にこだわった。「世界選手権で優勝したい」。やり残していたことがあったためだが、3度目の挑戦だった96年世界選手権(南アフリカ)でも頂点には届かなかった。
 97年夏、深浦町は東北総体空手競技の会場となった。成年女子の団体組手、個人組手に青森県代表として出場するに当たって、88年、90年と世界選手権を連覇し、大卒2年目で一線を退いて指導者に専念していた姉を誘った。
 町民の温かい声援を背に団体組手を優勝。個人組手も順当に勝ち進んだ。決勝で自分の前に立っていたのは、ずっと背中を追ってきた姉。妹が現役の意地を見せて土をつけたとはいえ、「同じ階級でも、実戦では初対戦。あらためて姉のすごさを感じた」
 元世界女王を倒した勢いで98年秋、世界選手権(ブラジル)で“4度目の正直”を果たした。決勝ではフィンランド人選手に快勝。「無心で戦えた。優勝が決まった時は本当にうれしかった」
 2000年は5度目の世界選手権(ドイツ)決勝でフランス人選手を下し、姉と同じく同選手権連覇を実現。同年12月の全日本選手権(東京)優勝を最後に一線を退いた。
 「前年の全日本選手権では高校チャンピオンに負けた。それから初心に戻って世界選手権、全日本選手権と2大会を勝つことができた。本当に『やり切った』と思えた」。その時、27歳だった。
 

たまい・ひろみ 1973年10月生まれ。三沢市出身。市立岡三沢小-同第一中、同堀口中-光星学院高(現・八学光星高)-大正大卒。空手の世界選手権女子個人組手53キロ級優勝2回。全国空手道連盟公認5段。21歳以下日本代表コーチ。青森県立青森北高空手部監督。国語教諭。
 

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