Free【連載・世界のJOMONへ】第2部・縄文の価値(1)独自性

巨大な岩を円形に配置したストーンヘンジ(イギリス)、狩猟採集民が残した遺跡ギョベクリ・テペ(トルコ)、中国殷王朝後期の都「殷墟(いんきょ)」―。北海道・北東北の縄文遺跡群の文化が続いたとされる紀元前1万3千年~前300年ごろと同時期の世界の遺跡は、文化遺産に登録されたものだけを見てもさまざまだ。世界、そして日本列島には多様な人々の生活とそれを裏付ける遺跡が存在し、縄文遺跡群もその一つでしかない。
 それでは、世界の中でも北海道と北東北の遺跡にしかない独自性とは何か。国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出する推薦書作成にも携わった、国際教養大学アジア地域研究連携機構の根岸洋准教授は縄文遺跡群を「農耕以前の暮らしのあり方を示す、パズルのピースだ」と表現する。
 そもそも「縄文時代」とは日本独自の時代区分であり、世界的に見れば「新石器時代」の一種だ。同じ時期、世界では狩猟や漁中心の遊動的な生活から農耕を経て定住生活に移り変わる地域が多かったのに対し、日本列島では狩猟や採集、漁労をしながら定住を続けていた。
 日本ではなぜ、約1万年以上の間、狩猟、採集をしながら定住生活を送ることができたのか。根岸准教授は「狭いところに山、川、海がそろい、自然の恵みが多様だったからでは」と推測。日本列島で稲作などの農耕が本格的に始まったとされるのは弥生時代だ。
 「定住と農耕を分けて考えるのは日本だけ」と指摘するのは、「つくられた縄文時代」などの著者、国立歴史民俗博物館(千葉県)の山田康弘教授。北海道と北東北の遺跡について「いわゆる“世界史”ではない、別の歴史を語ることができる。別の人類史のモデルを作ることができる場所だ」と強調する。
 一方で定住していたからこそ生じる問題もある。山田教授は「現代人の私たちは定住しているから定住を良いものと考えるが、実際は大変」とする。環境が変わったり食糧が少なくなったりした場合、移動生活をしていれば別の場所に動くことで解決できるが、定住していると、その場でどうにかしなければならない。
 「縄文時代」と一言で言っても、実際は東日本や西日本といった地域や年代ごとに生活に大きな差がある。東日本ではドングリ、クリなどの堅果類やサケなど食べ物が豊富で、より定住に適していた。
 さらに山田教授は、定住が進んで人口密度が高くなったことで人々のルールが生まれ、社会システムが複雑化したと予測する。
 社会の複雑さをうかがわせるのが、東日本の縄文時代の遺跡で多く見られる土偶だ。定住する中で人々のあつれきや食糧不安が生じた際、心のより所にしていたのが、土偶などを用いた「祈り」だった。
 是川縄文館運営協議会の会長で、考古学者の岡村道雄さん=東京都在住=は「東日本の縄文文化は風土、生物多様性、地理的な豊かさに適応して、技と精神で文化を発展させてきた」と強調。豊かな自然を生かし、狩猟と採集で定住を続けた縄文時代の人々の暮らしは、世界中に存在するさまざまな新石器文化に新たな光を当てることになるかもしれない。
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 青森、岩手、秋田、北海道の17遺跡で構成する「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、2021年度の世界文化遺産登録を目指している。約1万年続いた縄文時代とは。そして、世界の歴史の中で、縄文遺跡群が持つ価値とは。有識者の知見や現存する資料などさまざまな視点から探る。

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