Free【震災から9年】あの日、命懸けの沖出し 三沢漁港から最後に避難

命の危険を感じながら漁船で沖に避難した9年前を振り返る月館雅太さん=6日、三沢漁港
命の危険を感じながら漁船で沖に避難した9年前を振り返る月館雅太さん=6日、三沢漁港

東日本大震災による津波で、三沢漁港所属の漁船は約70隻のうち、半数が被害を受け、残りは沖に避難して難を逃れた。三沢市淋代3丁目の漁師、月館雅太さん(52)は当時、漁港から最後に避難した一人。引き波で露出した海底に何度も船底を着きながら、ひたすら沖を目指した。「あんなに必死になったのは初めてだった」。命の危険を感じながら操舵(そうだ)した9年前の出来事は今も忘れられない。
 2011年3月11日。三沢漁港では、市漁協関係者が間近に迫った一大イベント「三沢ほっきまつり」の準備作業を行っていた。
 ドン。突然、強い揺れに襲われた。「すぐに漁港内の水位が下がるのが分かった」(月館さん)。ベテランの漁師たちは「津波が来る」と叫び、何人かが漁船に乗り込むのが見えた。
 月館さんは自宅の母親が心配で、いったん帰宅。無事を確認して再び漁港に戻り、所有する小型の刺し網船(4・9トン)で出港した。他に2隻も一緒だった。
 どす黒く濁った波が押し寄せ、水位が激しく上下する。うち1隻は漁船での避難を諦め、ぶつかるように岸壁に乗り上げて漁師が走って逃げた。
 記憶では3回、船底が海の底に着いた。推力を生むプロペラを守るため、エンジンを切ったり、かけたりを繰り返した。水位が戻ってから沖を目指そうとしたが、水面に浮遊するトラックや船が障害となり、「前に進めなかった」。
 ようやく港内を抜け出したときは「助かったと思った」。沖合で仲間の船と合流した。海上で2晩を過ごし、帰港したのは2日後の13日午後だった。
 35歳ごろに父親の跡を継いで漁師になった。沖出ししたのは、あのときが初めて。「感覚に頼って沖に出た。一番悪いタイミングだった」。生きていたからこその反省だ。
 三沢市は漁船避難ルール策定作業を進めている。ワーキンググループのメンバーとして議論に参加する月館さんは「ルールはあって良い。津波の知識は大事だから。どの程度の水深の沖に出るべきかも知ることができる」と語る。
 ただ、「命と同じくらい大切」という漁船を捨てる気持ちにはなれないという。「船が無くなれば食っていけない。天候が良いのか悪いのか、昼か夜か。そのときの状況によるだろうが、簡単に船を諦めるわけにはいかない」と漁師の葛藤をのぞかせた。