Free【北奥羽の地名】材木(ざいもく、大間町)/柵に用いたのが始まり

北奥羽の地名
北奥羽の地名

地名上は奥戸地区の小字の一つだが、行政区分では大間、奥戸と並んで大間町を構成する地域の一つで、漁業などが盛ん。2016年6月末現在、76世帯163人が暮らす。

 町中心部から10キロほど南に位置し、南には佐井村が隣接する。歴史上は大間町で最も早く集落が形成されたエリアで、地名も下北半島で一、二を争うほど古いとされる。

 町史によると、貞観元(859)年、征夷大将軍坂上田村麻呂の遺児・佐井丸が下北半島を管理していた当時、蝦夷の来襲に備えて、集落西部の津鼻崎に柵として用いたのが「材木」の始まり―との伝承がある。

 佐井丸の「館」は海岸沿いの赤岩付近か、八森山付近にあったのではないかと推測されている。津鼻崎など一帯の海岸線は、下北ジオパーク構想のジオサイト候補地「佐井」の一部。至る所で「柱状節理」という、柱状の割れ目が入った岩を見ることができる。

 柱状の岩は建材などに加工しやすく、地元では「材木石」として、石垣や車止めのほか、漁業にも活用されている。

 
お気に入り登録