Freeいつまで拝める?龍の横顔 崩落、浸食で変化続く 洋野の岬「辰の口」 

【写真上】久慈線開通記念の中野村名所絵葉書に載った昭和初期の「辰の口」。現在より全体的に顔が前に長く、より龍に見える(1930年、洋野町立種市図書館所蔵)【写真下】現在の「辰の口」。90年前と比べると顔の形が変わっている=2023年12月、洋野町小子内地区

昭和初期に、洋野町小子内地区で〝龍の横顔〟を捉えたモノクロ写真がある。もちろん、本物ではない。「辰の口(龍の口)」と呼ばれる小さな岬だ。現存する隠れた名所だが、崩落や浸食により形は変わり、顔の長さはこの90年で約3㍍短くなっている。今後も地形変化は続くとみられ、いつまで龍の横顔として拝めるかは分からない。

 小子内地区の沿岸部にある辰の口は、地区センターや漁協の裏手に回ると現われる、長さ約43㍍、高さ約12㍍の岬だ。龍の横顔のように見えるのは南側で、北側は下部が浸食で大きくえぐられている。

 青森県南、岩手県北地方の高校生、大学生でつくる八戸市水産科学館マリエントの「ちきゅう」たんけんクラブ・シニアは2021年から、辰の口の調査を実施。同市の北奥羽自然史研究所の高橋晃所長(69)と共に、地質・地形に関する自然遺産「ジオサイト」としての可能性を探り、23年の日本地球惑星科学連合大会や22年の日本ジオパークネットワーク全国大会で成果を発表してきた。

 その中では、インターネットの洋野町文化遺産情報サイト「洋野ヒストリア」に掲載された1930年の写真と、91年後の21年に撮影した写真を比較した。

龍の横顔に見えるのは南側で、北側は下部が大きくえぐられている

龍の額から下顎にかけて、水平方向に平均約1・5~2㍍の浸食が見られると分析。波が最も当たる下顎よりも、鼻や上顎の方が浸食は大きく、崩落などにより最大3㍍の変化があったとした。一方、地元住民への聞き取りによると、東日本大震災では目に見える影響はなかったようだ。

 辰の口の魅力について、高橋所長は「各地にある、何かに見える岩の中では分かりやすい。知名度は低く、地図に載ることも少ないが、八木地区から有家地区まで海岸を歩く際に楽しめる景観の一つ」と語った上で、「将来的には龍に見えなくなったり、北側に倒れたりする可能性もある」と指摘する。

 辰の口には、その由来となった昔話がある。ある男が岬で一人、ワラビ採りをしていると、「おらのワラビを採るのは誰だ」という大声が聞こえた。慌てて逃げ出し、翌日様子を見に行くと、岬は龍が口を開けたような形になっていたという。限られた資源の独り占めを禁じた、村のしきたりを伝える教訓的な話だ。

龍の首を切断するように道路が走っている

大声に着目した高橋所長は科学的に考察。「これが崩落音だとすると、地形の変化を踏まえた話と考えることもできる」と推測し、昔話も生かしながら知名度向上を図る道を模索している。

 
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