Free【北奥羽の地名】北野(久慈市)/軍用馬の育成が盛ん

北奥羽の地名
北奥羽の地名

久慈市北部の侍浜町にある地名。由来は不明だが、古くから馬産地として知られ、軍用馬を育成する牧場があった。

 1664(寛文4)年、盛岡、八戸両藩が成立した際、北野は八戸藩に属した。だが、盛岡藩は北野を重視。85(貞享2)年に三戸郡七崎村と領地を交換し、盛岡藩に戻された経緯がある。

 藩営の9牧場(住谷、相内、木崎、又重、有戸、大間、奥戸、北野、三崎)の一つとして数えられた。1769(明和6)年、計1053頭の野馬が飼育され、藩は9牧場を管理するため三戸に御野馬役所を置いた。

 北野の最盛期は1800年代前半。その後は大飢饉とオオカミによる被害で馬数は減少し、明治初年に廃止となった。現在、国道45号沿いに馬の守護神を祭る「北野駒形神社」が鎮座する。

 1651(慶安4)年、盛岡藩3代藩主の南部重直が廃牧となっていた北野で、疾風のごとく駆けてくる2頭の野馬を見掛け、北野再興の吉兆として当社を建立したと伝えられる。

 
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