Free【北奥羽の地名】福岡(二戸市)/土地の繁栄と福を願い

北奥羽の地名
北奥羽の地名

主に現在の二戸市中心部を形成し、市立福岡小や福岡中、岩手県立福岡高など学校名を中心に地名が使われている。これはかつて二戸市が周辺町村と合併前に福岡町と呼ばれていた名残だが、そもそもなぜ「福岡」なのだろうか。

 二戸市教委発行の「二戸市の地名」(2007年)などによると、現在の同市福岡地区はかつては宮野と呼ばれていた。1591(天正19)年、九戸政実の乱に起因する九戸城落城後、豊臣秀吉の命令で上方軍の蒲生氏郷が九戸城を改修。その後、南部家26代当主の南部信直に城が引き渡された際、信直が土地の繁栄と福を願って「福岡(城)」に改め、南部家の本拠地にしたとの説が伝わる。

 福岡地区の字名は60。城ノ外や松ノ丸など、城下町を連想させる地名は今も残る。信直による命名以降は継続して使用され、1889年の町村制施行によって旧福岡町が成立。その後、周辺町村との数度の合併(1955年、72年、2006年)を重ね、二戸市福岡となって現在に至っている。

 
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