Free【北奥羽の地名】関(久慈市)/番所開設 交通の要所

北奥羽の地名
北奥羽の地名

久慈市山形町(旧山形村)の霜畑地区にある地名。江戸時代に関所があったことから地名の由来になったとされる。太平洋側の野田から内陸の盛岡、沼宮内を結ぶ「野田街道」(通称・塩の道)沿いにあり、古くは交通の要所だった。

 山形村誌によると、1664年に八戸藩が誕生する前から番所(関所)が開設されていた。盛岡藩の藩庁日記である「雑書」には、1652年7月に「関村」という地名が登場。番所を通る人馬や物資を吟味し、許可証のない無手形のものは番所にとどめ置くようにと指示する内容だ。

 番所では、街道を行き交う盛岡藩野田代官所の公用書状や役人の通行、野田浜から産出する塩などの海産物、鉄山労働者の食事用のコメなど物資を監視することとなった。

 関村には、隣の小国村と共に、代官所の役人や物資往来の便を図るため、藩政当初から伝馬が配置され、伝馬継ぎ所に指定されていた。野田街道という交通の要にあり、明治前期までは行政や経済交流の中心だった。

 
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