鎌倉幕府5代執権北条時頼(義時のひ孫)が危篤となった弘長3(1263)年11月、看病のため出入りを許された武士の中に南部次郎(光行の子実光か)がいた(『吾妻鏡』…

【南部氏誕生 光行と「鎌倉殿」の時代】(13)鎌倉幕府滅亡と南部茂時
2022.10.18
11:25
この記事は会員限定です
(全文 1570 文字 / 残り1489 文字)
無料会員になると月3本までご覧になれます
有料会員に登録すると
- すべての記事が読み放題
- 過去1カ月分の紙面をいつでも読める
この記事は有料会員限定です
(全文 1570 文字 / 残り1489 文字)

電子紙面
動画ニュース