【義と情と理と 大島理森が駆けた時代】第2部 動乱(5-2)地元入りで解決案を提示

被害者団体の事務所を訪れ、解決案合意の理解を求める大島理森環境庁長官(左)=1995年9月30日、熊本県水俣市
―水俣の様子はどうでしたか。 公害の発生した不知火湾というのは本当にきれいなんですよ。自然破壊というのは人間の尊厳を傷付け、コミュニティーを分断することを実態として学ばせていただきました。現職を退いた今も環境問題に取り組む原点となっています.....
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