Free北奥羽の地名【是川】/どんな由来?

北奥羽の地名
北奥羽の地名

【是川=これかわ】

 「縄文の里」として知られる八戸市是川。今から3千年前、是川遺跡のある場所では、遮光器土偶で有名な「亀ケ岡文化」を育んだ人たちが暮らしていた。現在も多くの縄文遺跡が発掘されている。

 「是川」という地名の由来は諸説あり、是川地区振興会が発行したガイドブック「是川の歴史再発見」では、二つの説を紹介している。

 一つは「是川豊前」という領主がいたからだという説。戦国時代に是川に領地をもらった豊前。その子孫は、1627年に根城南部氏の遠野への村替えについて行くまでいた。

 もう一つは、中居にある清水寺の観音様をお参りする人たちが、新井田川で体を清めたことから「垢離川(こりかわ)」が変化し「これかわ」になったという説。清水寺には、1581年に建立された県内最古の木造建築物の観音堂があり、今も多くの人が訪れている。

 ※ネット連載

 
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