川で逃れた大空襲の死線 業火地獄「でも朝は来た」

 手描きの地図を示しながら戦争体験を語る坂田俊博さん
 手描きの地図を示しながら戦争体験を語る坂田俊博さん
和歌山市の坂田俊博さん(83)は、1100人以上が亡くなったとされる太平洋戦争終盤の和歌山大空襲を、川の中に逃げ込んで業火をしのぎ、生き延びた。「地獄の中で朝は来た。違うところへ逃げていたら、家族全員、亡くなっていた」。幼少期の鮮烈な死線の.....
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