Free【北奥羽の地名】崩(新郷)/天皇崩御の地?

北奥羽の地名
北奥羽の地名

【崩=くずれ】 
 新郷村西越地区にあり、集落の全8世帯が「崩さん」だ。南北朝の争いで、青森県に逃れてきた南朝の長慶天皇が“崩御”した地として崩と名付け、墓守を任せた地元のまたぎ2人に崩の名字を与えたという。集落には長慶天皇の墓といわれる塚がある。

 塚の所有者・崩幸雄さん(55)によると、1935年ごろ、ある文書を基に国の役人が塚の調査に訪れた。調査隊から伝えられた文書の内容は、長慶天皇はこの地で崩御し、塚に埋葬された。棺おけは集落の石で作り、近くに見張り台を3カ所設けた―などだった。

 集落では塚は「高貴な人の墓」といわれていたが、崩さん方ではこれを機に長慶天皇の墓と認識するようになった。調査隊から聞いた話は、祖母、母、幸雄さんと、口頭で伝承されている。

 一方、村史では、塚は長慶天皇の側近・弘田刑部の死を天皇崩御に見せかけ、敵方を欺くために造られたと推測している。宮内庁は44年、京都の嵯峨東陵(さがのひがしのみささぎ)を陵墓と定めたが、全国各地には、今も長慶天皇陵墓伝説が息づいている。

 ※ネット連載

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