Free【北奥羽の地名】源道(久慈市)/どんな由来?

北奥羽の地名
北奥羽の地名

【源道=げんどう】
 久慈市の岩手県立久慈病院の東側にある地名。「源の道」と書くその名の通り、北奥羽地方に数多く残る源義経北行伝説に由来するものだ。

 1189年に平泉で自害せず、逃れた義経一行は沿岸部を北上。久慈に入ると、兄・源頼朝が差し向けた追っ手が迫っていた。武勇の誉れが高く、奥州追討軍の先陣を務めた畠山重忠だった。

 久慈湾に突き出した高台から北方に目を光らせていた重忠は一行を発見。重忠は義経を哀れに思い、当たらないようにと諏訪大明神に念じて矢を放った。矢はそれて松の木に刺さったという。

 一行は重忠の温情に助けられ、のちに「源道」という地名となった場所を通り落ち延びていったという。その後、侍浜海岸から舟に乗って八戸に向かったといわれている。重忠は外した矢を神体に諏訪大明神を祭ったと語り継がれている。

 源道には、現在も市民が行き交う生活道路がある。郷土史家が標識を作製し、歴史ロマンを埋もれさせないで後世に伝えている。
 ※ネット連載

 
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