八戸三社大祭
八戸三社大祭
ユネスコ無形文化遺産
国指定重要無形民俗文化財

八戸三社大祭

 7月31日の前夜祭、そして8月1日から4日までの5日間は、豪華な山車が中心街などに繰り出す、青森県南を代表する夏祭りです。
 八戸市内のおがみ神社、新羅神社、神明宮の三社合同の祭り。前夜祭は八日町−廿三日町に参加山車が勢ぞろいして祭りを盛り上げます。1日と3日のお通り、お還りの御輿(みこし)行列には、藩政時代から続いた武者押し、旗差し物、稚児行列、そして神楽、獅子舞、虎舞など郷土色豊かな伝統芸能、さらには附祭として、各氏子町内の人々、職域団体の山車が参加、笛・太鼓のはやしに引き子の掛け声もにぎやかに行列は延々5キロにも及び、2時間以上も観客の目を楽しませてくれます。中日には長者山桜の馬場で加賀美流騎馬打毬や徒打毬が古式ゆかしく行われます。
 三社大祭は約290年の歴史を持ちます。享保6年(1721)おがみ神社で豊作加護と報恩の願いを込めて氏子たちが祭礼を行ったのが、そもそものきっかけとされ、御輿、獅子舞、神楽など渡御行列で町内を練り歩き、新羅神社で2泊して帰社しました。そのお礼の意味で新羅神社が行列を整え、お送りしたのが祭りの始まりと伝えられています。明治になり神明宮も加わり三社祭になりました。
 祭りの華はなんといっても山車。各町内会や企業グループは6月初めから一斉に山車作りを始めます。題材には、源平合戦などの軍記物をはじめ、人気のある歴史上の英雄のほか、童話や日本神話、縁起のよい民話などバラエティーにとんだ山車は、大通りでは左右の仕掛けをせり出して、道幅いっぱいに広がります。1台に大太鼓1つ、小太鼓5つ、引き子など150人〜250人で運行、地元では「日本一の山車まつり」と自慢しています。
 2016年に八戸三社大祭を含む全国33の「山・鉾(ほこ)・屋台行事」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産に登録されました。

制作者の技と熱意が結集

 八戸三社大祭を華やかに彩る豪華絢爛(けんらん)な山車。総勢27台の山車は、全て山車組のスタッフによる手作りだ。趣向を凝らした仕掛けや、細部にこだわったきらびやかな装飾には、制作者の技と熱意が結集している。
 山車には、さまざまな仕掛けがあるのが特徴だ。コンパクトに折りたたまれた状態から、天へ高く延びる「せり上がり」や「起き上がり」、左右に開く「引き出し」や「回転」と呼ばれる仕掛けが開くと、幅8メートル、高さ10メートルにも達する。
 お通りなどでは、煙を噴射したり、人形を上下させたりして、観衆にアピール。沿道からは大きな歓声が沸き上がる。
 目を引く巨大な龍や虎などは、発泡スチロールやスチレンボードを加工して作るが、いずれも繊細な技術が必要。身近な素材で、いかに高いクオリティーを出すか、日々苦労を重ねている。
青森県無形民俗文化財

加賀美流騎馬打毬

 打毬(だきゅう)は騎士が2組に分かれて毬杖(きゅうじょう)をふるい、馬場にある毬(まり)を自分の組の毬門(ゴール)に早く入れることを競う古式馬術。現在、八戸市の「加賀美流騎馬打毬」のほかに、宮内庁と山形市の「豊烈(ほうれつ)神社の打毬」の三つしか残っていない貴重な文化財だ。
 八戸の加賀美流騎馬打毬は1827(文政10)年に第8代八戸藩主・南部信真公が長者山新羅神社を改築した際に奉納したのが始まりと伝わる。八戸三社大祭に参加したのは1833(天保4)年からとの記録が残り 、現在は青森県の無形民俗文化財に指定されている。
 紅白それぞれに分かれた騎馬武者が北海道和種の馬「どさんこ」にまたがって長さ約2メートルの毬杖を携えて競い合うさまは圧巻。江戸時代に行われていた実践的な馬術の鍛錬をほうふつとさせる。

見どころと運行経路

山車紹介

祭神「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」
 常に先頭を務める行列では、子供裃着や巫女行列など子どもが多く参加します。衣装合わせ以外は、ほぼぶっつけ本番。また、行列後半の高館駒踊も人気の一つです。
祭神「法霊大明神(ほうれいだいみょうじん)」
 八戸市内最古で八戸三社大祭発祥の神社。江戸時代の屋台山車やさらにその原型となる笠鉾(かさほこ)など、歴史を感じさせる行列です。法霊神楽や3組の虎舞にも注目して下さい。
祭神「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」「新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)」
 八戸三社大祭、えんぶりと、年に2回神輿(みこし)を渡御する神社は青森県内でもこの神社だけ。行列では、甲冑(かっちゅう)姿など重厚な装いが見られ、華屋台の舞いで八戸らしく締めくくります。

写真で振り返る八戸三社大祭

1959(昭和34)年の八戸三社大祭

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