Free【北奥羽の地名】桐萩(三戸)/「切接ぎ」由来

北奥羽の地名
北奥羽の地名

【桐萩=きりはぎ】

 城山公園直下に広がる桐萩は遊郭街として栄えた“不夜城”だったが、今は静かな住宅地。「三戸の経済に大きな影響を与え、名の響いた歴史は止めておく必要があろう」と、三戸町史(中巻)で8ページにわたって解説されている。

 町史によると、明治初期には既に遊郭があり、十数軒30人超の女性が働いていたとされる。地名の由来は「切接ぎ(きりはぎ)」と呼んだ三戸城防衛のための通り道。遊郭ができてから「桐萩」と呼ばれるようになったが、なぜこの漢字を当てたのかは判然としない。

 1886年ごろから街は活気にあふれ、戦時中もそれなりのにぎわいを見せた。終戦後は八戸に駐留していた米兵が訪れ、飲食店やビリヤード場など「戦後の解放感」を享受しようと1948年ごろから隆盛を極める。

 しかし56、57年と立て続けに大火が発生、58年売春防止法が施行され、時代の変化に伴い65年ごろから歓楽街としては廃れた。細い路地に遊郭だった旧旅館があるが、大半は一軒家や事業所で当時の面影はほとんど残っていない。
 ※ネット連載

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