Free【北奥羽の地名】正寿寺(南部町)/南部氏の菩提寺に由来

北奥羽の地名
北奥羽の地名

【正寿寺=しょうじゅじ】
 奥州街道と鹿角街道の合流点付近に当たり、馬淵川にも面した、かつて交通の要衝だったエリア。室町時代から戦国時代にかけて三戸南部氏の本拠地で、菩提寺の聖寿寺があったことに由来する。

 聖寿寺の正確な位置は定かではないが、南部氏居城の聖寿寺館は1300年代後半に建てられており、建立はその前後とみられる。館は1539(天文8)年に家中の内紛によって焼失したとされる。一帯は当時は三戸と呼ばれていた。

 1600年代初頭に南部氏が盛岡に移ると、聖寿寺も移転。盛岡市内で歴代藩主をまつる「聖寿禅寺」となった。南部町の跡地には、聖寿寺の塔頭(たっちゅう)として「三光庵(寺)」が残ったという説もある。

 明治に入ると、文字が簡略化され、地名は現在の「正寿寺」になった。一方、近くには「聖寿寺平」という地名も残っており、こちらは従来の字のままとなっている。

 聖寿寺館跡周辺の一帯は2004年に国史跡に指定され、発掘調査も進んでいる。町は2019年度までに、史跡公園として整備する計画だ。
 ※ネット連載

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