Free【東京五輪出場】本村直樹ヒストリー㊥ 八戸高1年でラグビーに

本村直樹選手(中央)=2019年10月、ホンダ提供
本村直樹選手(中央)=2019年10月、ホンダ提供

ラグビーを始めたのは、八戸高1年時。兄がラグビーをしていたことや、先輩の誘いがきっかけだった。当時の青森県内高校ラグビー大会は、上位グループ、下位グループに分かれて行われ、八戸高は上位グループに上がることができなかった。

 それでも、本村の実力は関係者の間で話題となり、高校3年時は、青森北高など強豪校の選手に交じって国体の県選抜チームに招集された。「あの時、高いレベルのラグビーをやれたことで、大学でも競技を続けたいと思えた」

 ただ、文武両道の実践を掲げる進学校だったこともあり「スポーツで大学へ行こうとは思わなかった」。当時、数学や体育が好きだったことから、教員を視野に入れて理系の大学への受験を考えていたところ、当時の監督に「ラグビーで大学へ行くべきだ」と、筑波大を勧められた。「教員の勉強も、ラグビーもできる」と納得し、1年の浪人生活を経て、一般入試で同大へ進んだ。

 高校時代に華々しい成績を残せなかったこともあり、大学では「試合に出られなくても4年間頑張ろう」と半ば諦めの気持ちもあった。そんな本人の思いとは裏腹に、1年から試合出場の機会が巡ってきた。当初は思うようなプレーができず、ミスを連発。「試合に出たくないと思うこともあった」

 それでも、献身的にアドバイスをくれる先輩や、休日でも熱心にトレーニングを重ねる同級生の姿に励まされ、がむしゃらに努力を重ねた。「頑張るのが当たり前の環境だった。自分は強くないので、1人では頑張れなかったと思うが、頑張る環境をチームメートがつくってくれた」。努力する“地盤”をつくってくれた仲間たちに、今でも感謝しきりだ。

【東京五輪出場】本村直樹ヒストリー 月刊Dash20年1月号より

㊤ 「今度は自分たちが歴史つくる」
 ㊦ 努力の階段上り7人制へ

 
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