Free【あの日の紙面・震災翌日】三陸沖M8・8 国内観測最大級/2011年3月12日朝刊より

八戸港館鼻地区の防波堤を乗り越えて押し寄せる最大波の津波=2011年3月11日午後4時50分ごろ
八戸港館鼻地区の防波堤を乗り越えて押し寄せる最大波の津波=2011年3月11日午後4時50分ごろ

「あの日」の記憶を紙面でたどる企画。12日は震災発生を伝える翌日の朝刊紙面。本紙は停電などの影響で通常の新聞発行ができず、4ページの特別紙面で対応した。

 ■大津波 八戸2・7メートル

 11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とするマグニチュード(M)8・8の巨大地震があった。気象庁によると、関東大震災のM7・9などを上回り、1923年に日本で近代的な地震観測が始まってから最大。青森県内では八戸市南郷区、五戸町、おいらせ町、階上町、東北町で震度5強、八戸市、十和田市、七戸町、南部町、三戸町などで震度5弱を記録した。

 県の災害対策本部によると、11日午後11時現在、県内で死者、行方不明者は確認されていない。大津波警報が発令された太平洋岸では、午後4時前後から八戸港などに2メートルを超える津波が数回にわたって押し寄せた。八戸港では少なくとも8人が波にさらわれたが、救出されたもよう。けがの有無は不明。ほかに七戸町で2人、三戸町で1人が負傷したとの情報がある。

 午後7時現在、22市町村で1万5079人が避難している。津波は検潮所がある八戸港で最大2・7メートル、むつ市関根浜港で同2・1メートルに達した。場所によってはさらに高くなった可能性がある。

 東北電力によると、地震発生時から県内ほぼ全世帯に当たる約90万世帯が停電した。今後、停電が長期化した場合は乳牛の搾乳停止や鶏舎の換気不足による被害が想定される。

 各地で断水も発生しており、ライフラインの復旧には数日を要する見通し。鉄路、空路もほぼストップした。

 建物の被害では、三本木農業高校の改築現場で天井の一部が剥がれた。県庁でも漏水や廊下にひびが入るなどの被害が出た。

 日本原燃によると、六ケ所村の核燃料サイクル施設に安全上の問題は起きていない。東北電力によると、東通村の東北電力東通原発1号機は定期検査で停止中。ただ、外部からの電源供給が停止しており、非常用ディーゼル発電機が始動し、施設に必要な電源を供給している。周辺へ放射能の影響はない。

 県は被災地支援のため自衛隊に災害派遣を要請。県は県庁の対策本部に加え、三八、下北両地域県民局に現地本部を置いた。

 ■家族の安否は… 募る不安

 八戸市内の避難所には、地震発生直後から住民が集まって来た。着の身着のままで逃げて来た人、不通が続く携帯電話を握りしめながら家族の安否を気にする住民。停電も重なり寒さも厳しく、毛布や防寒具にくるまり、繰り返し襲う余震におびえながら不安な時間を過ごした。

 避難所の一つ市立小中野小学校では、津波を警戒して、校舎2、3階の教室を開放。ジャンパーやコートを着込み、毛布を持った住民が続々と詰め駆けた。午後6時半までに避難した住民は400人に達し、すし詰め状態となった。

 同市小中野7丁目の電気工事業男性(37)は近くに住む高齢の母親を連れて避難。「妻と子どもたちは別の学校に避難していて会えないので不安」と話した。

 同市白銀地区では地震発生後の午後3時、同地区自主防災会が避難所を白銀公民館、三嶋神社、白銀小学校の3カ所にした。

 ペットを抱えた住民や、介護サービス施設の職員に手を引かれた高齢者らが続々と集まった。テレビもなく、住民たちはじっとラジオに耳を傾けていた。白銀公民館と三嶋神社に集まったのは、午後4時20分時点で、合わせて約250人。寒さに加え、数少ないトイレには、ひっきりなしに住民が殺到し、落ち着かない様子だった。

 歩いて白銀公民館に避難した近くに住む女性(73)は「孫と娘の3人で逃げて来た。まだ心臓がどきどきしている。ひどい揺れだった」と不安げに話していた。

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