Free【あの日の天鐘・震災前日】2011年3月10日

本紙1面のコラム「天鐘」は東日本大震災をどのように伝えたか。震災前日の3月10日からたどる。

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 最初はめまいかと思った。昨日の昼前の地震。「静まれ、静まれ」と、祈ったが、揺れは次第に強くなった。1994年の三陸はるか沖地震のような縦揺れはなかったが、けっこう長く揺れた▼先ごろのニュージーランド地震が頭をよぎり、恐怖を覚えた。津波注意報が出され、予想到達時刻は間もなくだった。しばらくはテレビにくぎ付けになった▼昨年2月の南米チリ巨大地震による津波はまだ記憶に新しい。久慈港では120センチ、八戸で90センチだった。太平洋沿岸は、常に津波への即応体制を問われていると言える▼1960年のチリ地震津波では、野田村で8・1メートル、八戸で約1・5メートル。八戸海上保安部で発見された当時の写真を見ると、破壊力の凄まじさに驚かされる。1896年の明治三陸津波は震度3程度ながらも、大船渡で最大38・2メートル、八戸では3メートルだった▼藩政時代にも何度も大地震と津波があった。『八戸藩史料』(伊吉書院)によれば、1856年の津波では、湊村の多くの家屋が流失、小中野新町は全て浸水。湊橋は崩落、漁船は左比代まで、家財道具の類は類家まで流されたとある▼今回、大きな被害がなかったのは幸いだ。昨年2月の大津波警報で、避難勧告や避難指示に従わなかった住民が6割弱に上ったという調査結果もあった。50センチの予報が地形によって1~2メートルに達する場合があると専門家は指摘している。津波を侮っていては過去の教訓を生かせない。

 
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