Free地域の伝承を後世へ 長慶天皇祭/新郷村

三婆羅塚の前で奉納された「間明田駒踊り」
三婆羅塚の前で奉納された「間明田駒踊り」

南北朝時代に敵の追跡を逃れてきた長慶天皇が崩御し、埋葬された地―との伝承が残る新郷村西越崩(くずれ)の「三婆羅塚(さんばらづか)」で8月29日、第5回慰霊祭「長慶天皇祭」が開かれた。参列した地元住民らが地域の歴史ロマンに思いをはせ、伝承の継承を誓った。
 長慶天皇は、大正時代になってから宮内庁に在位を認められた南朝方3代目の天皇。1368~83年に在位したとされるが、1944年に埋葬地不明のまま、嵯峨東陵さがのひがしのみささぎ(京都市)が陵墓と定められた。史料が少ないため、御陵伝説は全国各地に存在する。
 崩集落には、東北地方に逃れた長慶天皇がこの地で亡くなって埋葬され、地名と墓守2人の名字に崩御の「崩」の字が与えられた―との伝承が残る。慰霊祭は、地元住民ら有志でつくる「崩伝承保存会」(崩弘幸代表)が伝説を広く伝えようと、2016年から毎年開催している。
 この日は、新型コロナウイルスの影響で、例年より招待者の規模を縮小し、同会の会員ら約10人が出席。神事を執り行い、関係者が玉串をささげた。
 その後、長慶天皇が騎乗してきた馬を基にした踊りとされる村指定民俗文化財「間明田駒踊り」も奉納された。
 崩代表は取材に「新郷村に長慶天皇の伝承の地が残るということを今後も発信し、慰霊祭も継続していきたい」と語った。
三婆羅塚の前で奉納された「間明田駒踊り」

 
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