Free【八戸三社大祭】「郷土の誇り守る」 国重文指定20年の節目

地元の山車組を紙テープで歓迎する沿道の人々。山車組と地域が一体となり、八戸三社大祭の長い歴史を紡いできた=八戸市六日町
地元の山車組を紙テープで歓迎する沿道の人々。山車組と地域が一体となり、八戸三社大祭の長い歴史を紡いできた=八戸市六日町

今年、八戸三社大祭の山車行事が国の重要無形民俗文化財の指定を受けてから20周年を迎えた。指定によって歴史的、文化的価値を持つ祭りの保存、継承への機運が高まり、認知度向上や観光面での情報発信が強化された。八戸市の祭り関係者は「国や世界の宝として認められた祭りを伝承していく」「祭りの本質を伝えて郷土の誇りを守る」と決意を新たにする。

 八戸三社大祭山車祭り行事保存会の小笠原修会長は「国が地域で守り続けてきた文化を認めてくれたことで、保存と継承の重要性を再認識した」と話す。

 2016年の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録にもつながったとし、「この節目にもう一度祭りの意義やどう向き合うかを見詰め直していければ」と強調する。

 今年の三社大祭では1日のお通りの行列で指定20周年をPRする横断幕が掲げられたほか、山車の見返しに「祝20周年」と掲げる組も見られた。

 吹上山車組もその一つ。コロナ禍での運行中止という苦難を乗り越え、昨年からは中村多香子さん(33)が女性で唯一、制作責任者を務めるなど、新しい風を吹かせている。中村さんは「毎年違う題材で山車を作るのはすごいことで、市民が作り上げる祭りだ。もっと見てもらいたいし、若い作り手も増やしたい」と伝統の継承を誓う。

 「成り立ちを改めて研究し、理解を深める機会が増えた。郷土の宝として再確認できた」とするのは八戸三社大祭運営委員会の佐々木伸夫会長。「旅行会社の企画や出版社の記事掲載などへの訴求力が増した」と、観光面での誘客の効果も挙げた。

 一方、人口減少や担い手不足などの課題には「どのような形で継続、保存、伝承するか検討する機会を設ける必要がある」とした。

 三社大祭は1721(享保6)年、法霊社(現龗(おがみ)神社)から長者山三社堂(現長者山新羅神社)まで神輿(みこし)を渡御したのが起源とされる。山車は大型化し、さまざまな仕掛けが施されるなど豪華になっているが、底流には、神社行列の附祭としての歴史がある。

 龗神社の坂本博史権禰宜(ごんねぎ)は「三社大祭の歴史からすれば20年はほんのわずかだが、年を追うごとに、さらに良くしたい」とした上で、「伝えるべき本義本質を見失わないようにしたい」と、本来の精神性の大切さを強調する。

 
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