Free【行路】好きなことを全力で 不登校など克服した石橋さん(八戸出身)

不登校を克服した経験を生かし、子どもたちの挑戦を応援したいと考える石橋優希さん(左)=11月上旬、八戸市
不登校を克服した経験を生かし、子どもたちの挑戦を応援したいと考える石橋優希さん(左)=11月上旬、八戸市

「学校に行かないのなら何がしたいの」。家族に言われるのがつらかった。

 八戸市出身のウェブエンジニア石橋優希さん(39)は、小学2年の時に不登校になった。同級生から給食を早く食べるようせかされ、吐き気で具合が悪くなったのがきっかけ。嘔吐(おうと)への恐怖から思うように食事ができず、体重が激減した。

 募る不安。「気持ち悪くなるのが怖い」と打ち明けられず、両親を困らせた。体調不良で入院した際、母が泣いている姿を見た。「このままではいけない」。葛藤を続けた。

 学校に戻ることができたのは6年になってから。修学旅行の全日程を無事に終え、自信になった。転校してきた同級生の支えもあって通学を再開、不登校を克服した。

 普通の生活を取り戻し、中学、高校を経て進学を機に上京。そのまま東京で就職して社会人になった頃、再びあの感覚に襲われた。

 「電車に乗るのが怖い」。調べると、自分の症状と合致する病名があった。「嘔吐恐怖症」。職場には徒歩で出勤したが、休日はどこにも出かけず、自宅に引きこもった。

 「何かを変えたい」。そんな中、思い出したのは高校の部活動で打ち込んだ吹奏楽。初めてのボーナスでバスクラリネットを購入し、楽団の門をたたいた。

 久々の演奏は楽しかった。自分の居場所が見つかったと感じた。調子の良い時期が続き、練習場所へ通うため、電車にも自然と乗れるようになっていた。

 現在は八戸と東京の二つを拠点に仕事をこなす。双方で楽団に所属し、私生活も充実している。

 故郷では新たな活動にも取り組む。子どもたちが学校以外でプログラミングなどを体験できる場を提供するほか、「Dropin(ドロップイン)」という団体を設立。社会から孤立した子どもたちの挑戦を応援したいと考えている。

 今も再発への不安を抱える。だからこそ、不登校を乗り越えた経験を子どもたちに伝えたい。「好きなことに熱中する時間が次の道につながる。今やりたいことを全力でやってみてほしい」

 
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