Free【北奥羽の地名】妙(八戸市)/由来は室町以降諸説あり

北奥羽の地名
北奥羽の地名

【妙=みょう】

 八戸市の妙の由来には諸説ある。

 室町時代の書物「永正5年馬焼印図」によると「めう野は9千匹のまき也」とあるように、東は階上岳から西は松館までの広大な牧場だった。室町時代には遠野南部氏が領地として治めていたが、江戸時代には八戸藩が支配し、9千頭の馬が放牧されていた。「めう野」が転じて妙野となったという説がある。

 一方、新井田村から東に位置することから太陽が早く昇る明るい村「明村」と呼ばれ、後に妙村と転じた説、村のきこりが「(階上)岳で“みょう”な怪物を見た」ことから妙と呼ばれたという説、「名田」と読みが同じで転化したとの説もある。

 大館地区の歴史に詳しい上田三蔵さんは「諸説あるが、どれも室町時代付近。複数の説が組み合わさって、妙の字が当てられたのかもしれない」と推測する。

 大規模な放牧を行っていただけに、同地区には馬の神「蒼前さま」や「馬頭観音」を祭った神社、家が点在している。馬への感謝や供養、安全な繁殖を願ってきたという。

 
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