Free天鐘(4月23日)

新渡戸稲造に渋沢栄一、北里柴三郎。紙幣への登場人物と十和田市や三沢市との密接な繋(つな)がりに驚くばかりだ。だがもう一つ、八戸市の「八戸セメント」が渋沢らの尽力で誘致した会社であることを知る人は意外に少ない▼1913(大正2)年、東北は冷夏続きで天保以来の凶作に見舞われた。救済に立ち上がったのが盛岡出身の内務大臣原敬(後の平民宰相)。財界の指導者、渋沢に「東北振興会」の結成と支援を働き掛けた▼阿吽(あうん)の呼吸で渋沢を会長に三井物産創設者の益田孝、大倉財閥の大倉喜八郎、鉄道王で政治家の根津嘉一郎ら錚々(そうそう)たる顔ぶれが揃い、大正7年、根津が社長の「日出(ひので)セメント」を八戸に誘致した(『八戸市史』)▼石灰石は松館の採掘場で露天掘り、湊工場までトロッコで搬送。折しも第一次世界大戦後の好景気と高層ビル建設ラッシュが重なり、需要はどんどん高まっていった▼磐城セメントや住友セメントを経て、今は八戸セメントとして独立。住友大阪セメントの製造を受託している。全長10キロに及ぶ地下ベルトコンベヤーで八戸港に運搬、採掘場は観光スポット“八戸キャニオン”に▼原を動かしたのは北村益(ます)旧八戸町長や神田重雄元八戸市長ら地元の熱。原の立憲政友会を応援し、八戸港や八戸線のインフラ整備に奔走した。冷害にも中央政財界が一つに結束、きめ細かく即応する“地方の時代”でもあった。