Free【あの日の紙面】1966(昭和41)年7月1日

あの日の紙面
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三井金属など4社による鉛、亜鉛共同精錬工場の八戸市への進出が確実となったことを伝えている。

 八戸地区が64年に新産業都市に指定されたことに伴い、67年に八戸製錬が設立された。翌年、生産拠点となる「八戸製錬所」が操業を開始した。

 業界の不況により、工場進出はなかなか具体化されなかったが、景気回復で鉛、亜鉛の需要が伸びたことなどから一気に着工が決まった。

 八戸製錬所は同市河原木に立地。熔鉱炉で亜鉛を生産する製法「ISP法」を採用した製錬所としては世界最大で、国内生産をリードしている。

 

 
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